忌野清志郎
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忌野 清志郎(いまわの きよしろう、1951年4月2日〜2009年5月2日)
初代自転車名人。バンドマン。ロックミュージシャン。
自転車名人
2005年、日本自転車普及協会と社会経済生産性本部(現・日本生産性本部=当時、自転車活用推進研究会の事務局となっていた)が主催した「自転車名人コンテスト」で以下の理由により「2005自転車名人」に選ばれ、同年3月23日表彰式が行われた。
- 「エコサイクル・マイレージ」サイトの参加者による推薦投票を実施した結果、「2005自転車名人」候補として圧倒的な推薦を得た。
- 日常生活のなかで自転車を上手に、かつ安全に活用するなど、選考基準(①安全に自転車を日常生活の中で活用しているか②広く一般に訴えかける知名度あるいは注目度を有しているか③自転車利用者、特に子どもたちの手本となる存在であるか)に合致している。
- 氏は環境問題をはじめとした社会的課題について深い関心をもち、自らできることを実践するとともに、環境絵本「ブーアの森」(絵・忌野清志郎、文・せがわきり)を著すなど、音楽にとどまらず、幅広い表現活動のなかで課題解決にむけた取り組みも行っている。
自転車関連の事績
多段変速機付き自転車の生産が盛んだった1966年[1]、中学生時代「ドロップハンドルのロードレーサーを購入」。実家のある国立から親戚の住む国立まで35キロくらい走ったという[2]。その後、クルマが主な移動手段となり、自転車の存在は忘れ去っていた。
2000年の年末、80歳の父親が吹雪の中7時間歩き、雪崩に遭った息子を自ら救出したというニュース[3]に衝撃を受けたことをきっかけに、体力づくりを思い立ち、自転車を再開。「たとえば水泳やサッカーのように限られた空間でエネルギーを費やすのではなく、自転車は同じエネルギーを使って自力でどこかへ行ける。そこにひかれた」と語る[4]。2001年9月、東京—鹿児島間走破を目指す「ツール・ド・鹿児島」に出発。その後も東京・深川—秋田・象潟(きさかた)間を走る「ツール・ド・奥の細道」、ホノルル・センチュリーライド参加など自転車旅を続けた。
2005年9月4日、東京都新宿区のJR新大久保駅付近で愛車「オレンジ号」が盗難に遭い、3日後に同区内で見つかり話題となった[5][6]。
自転車に関する作品
- 著書
- 『サイクリング・ブルース』(小学館、2006年 ISBN 4-09-366532-X)
- 楽曲
- 「自転車ショー歌」(『茄子 アンダルシアの夏 オリジナル・サウンドトラック』に収録、映画『茄子 アンダルシアの夏』エンディングテーマ)
- 「サイクリング・ブルース」(『GOD』に収録)