「中教出版」の版間の差分

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'''中教出版'''株式会社({{kanaheading|ちゅうきょうしゅっぱん}})
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1942年から2004年まで存在した出版社。事実上の戦時統合による国策会社<!-- https://www.jstage.jst.go.jp/article/hisetjournal1986/15/0/15_1/_pdf -->として発足したとされ、中等教科書の一元的発行会社<!-- https://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=14340&query=&class=&d=all&page=190 -->であった。敗戦により教科書出版の統制が緩和された後は、辞典など工具書の分野に進出。『[[例解国語辞典]]』の版元として知られる。
1942年から2004年まで東京に存在した出版社。事実上の戦時統合により発足した「国策会社<!-- https://www.jstage.jst.go.jp/article/hisetjournal1986/15/0/15_1/_pdf -->」とされ、「中等教科書の一元的発行会社<!-- https://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=14340&query=&class=&d=all&page=190 -->」であった。敗戦後、教科書出版の統制が緩和された後は、辞典など工具書の分野にも進出。『[[例解国語辞典]]』の版元として知られる。


1942年に「中等学校教科書ノ編纂出版及発売」を目的とする「中等学校教科書株式会社」として設立された。敗戦後の1950年2月に「中教出版株式会社」に社名を改める(『中教出版十年史』〈1953〉85㌻)。同年10月に岩本町から西神田2丁目10番地(1967年の住居表示実施後は「西神田2丁目3-16」)に移転。西神田の新社屋は東京看護婦学校校舎を買収した(86㌻)。第9期(1949年6月〜1950年5月)に「辞典等の編纂に着手」(115㌻)、1951年3月に『ハンディ英和辞典』、同年4月に『当用漢字辞典』(関宦市・富山民蔵編)を刊行する(巻末14㌻)。第11期(1951年6月〜1952年5月)の段階では「国語辞典の編集も着々と進めている」(120㌻)。『例解国語辞典』第1版の発行日は1956年2月10日である。
1942年に「中等学校教科書ノ編纂出版及発売」を目的とする「中等学校教科書株式会社」として設立された。敗戦後の1950年2月に「中教出版株式会社」に社名を改める(『中教出版十年史』〈1953〉85㌻)。同年10月に岩本町から西神田2丁目10番地(1967年の住居表示実施後は「西神田2丁目3-16」)に移転。西神田の新社屋は東京看護婦学校校舎を買収した(86㌻)。第9期(1949年6月〜1950年5月)に「辞典等の編纂に着手」(115㌻)、1951年3月に『ハンディ英和辞典』、同年4月に『当用漢字辞典』(関宦市・富山民蔵編)を刊行する(巻末14㌻)。第11期(1951年6月〜1952年5月)の段階では「国語辞典の編集も着々と進めている」(120㌻)。『例解国語辞典』第1版の発行日は1956年2月10日である。